……とった! 一番最初に手駒にした新庭一咲が、とてつもなくいい働きをしてくれたようだ。それとなく秋晴の部屋から持ち出した長めのチェーンに分銅をくくりつけただけの原始的な武器は、とんでもない戦闘力を持っていると言われる執行者にも十分有効なようだ。 ――……。 しかし、目の前で行われていることに対して、秋晴が凍り付いている理由がよく分からない。むしろ一咲を手駒にしたときは、秋晴が執行者と彼女が友好関係にあるなんて言ったし、不意をつけばいいと提案したのも秋晴だ。物量作戦を提案したのも秋晴だ。一咲をアタッカーに起用したのは他でもないオレだし実行に移したのもオレだが、ここまでうまくいったのは秋晴が最初に提案した超物量作戦があったからだ。 「おいおい秋晴。何凍り付いてるんだよ?」 ――うるさい、《笛吹き》。 何が、と言っても執行者と一咲が唇を重ねてるだけじゃないか。確かに一咲をこうやって使う前に自制心のいくらかはタガを外しておいたけれど、別に他人のモノ見て恥ずかしがるようなことか? ……ヒトの倫理観というのは、いまいちまだ飲み込めない。 ――ああもう。俺も子供だけどさ。いくら自制心がいくらか飛んでるって言っても、こう……人前で、それも同性にディープキスなんてするか? 見てるこっちが恥ずかしいって……。それもその後余韻たっぷりに唇に指を当てるな手で拭うな背筋がきつくなる……。 以上、心中における秋晴の言い訳である。 執行者が走ってきた場所に、改めて向き直る。 《ルビー》と言ったろうか。あの『名称持ち』はなかなかやるようだ。執行者の能力なのか、コンクリの地面を抜き落とされて包囲を突破されたときは驚いたが、秋晴の機転で気絶させられた人間を再起動しに戻らなければ、下手すれば駒にした全員が倒されていたかもしれない。 さすがに、オレ達を追ってくる余裕はないだろう。 「一咲、その執行者を運んでついて来い」 一咲は従順に執行者を立たせると、腕の下から肩を入れて、引きずるようにして運び始めた。片腕だけであの女を引きずり立たせたあのときの力はどこにいったのか考えたが、首を掴んで引きずると大切な親友に大怪我を負わせてしまうと考えたんだろう。 ――《笛吹き》。気絶してる今のうちにやらないのか? 立ち直った秋晴が聞いてくる。 オレは即答した。 「やらない。というか、たぶんやれない。執行者の能力が分からないと対処しづらいのもあるが、それ以上にこいつに興味がある。いくらか聞きたいことがあるんでね」 ――好奇心は猫を殺すぞ。 「そうかよ。でも、安心しとけ」 秘策というか、少なくとも、お前だけは死なせない。 本来は意識のあるものの行動に割り込むオレの思考言語だが、もしかしたら、できるのかもしれない。いや、確実を期すならできなくちゃならない。 無機物を、操作する。 ――もう、好きにしろよ。最後まで付き合ってはやるからさ。でも、自分がクラスメイトと、それも女子ところ……本気で殴りあうなんて、俺としてもあんまり気分はよくないぞ。 投げやり気味に、秋晴がぼやく。 「……ああ。ま、見てろよ」 他に言うべき言葉があったのかもしれないけれど、オレの口から出てはこなかった。 生みの親に相手にされなかった秋晴は、オレを相手にしてどう思っているんだろう? ずっと勝手に体を乗っ取られておいて、特に拒否もしないのはどうしてだ? 団欒もほとんど持ってこなかったと秋晴の記憶が語っている。それなのに世間に対してスレずにいられるのは、もう一種の才能なのかもしれなかった。 対してオレは、誰からともなく生み出され、そのまま何にも触れられることなく時間だけが過ぎていった。 オレがコイツと出会ったときに言ったように、オレたちは似たもの同士。 オレの先は長くないだろう。何にせよ、執行者に喧嘩を売ったのだ。いずれ『世界』に殺される。 ……結局、オレは秋晴に何をできるのか、結論を出していないのかもしれない。 でも、もう、時間はない。 ‡ 錆びた鉄の臭いで目が覚めた。 一咲に叩き伏せられた後、気を失っている間に連中が私をどこかへ拉致したらしい。まだ意識がはっきりしないし、首元が何か重い。 場所の確認ついでに、周囲を見渡してみる。 廃棄された施設のようだった。いくつか置いてある機械類――旋盤や電動糸鋸も運び込まれているようだし、もしかしたら、かつて工業高校や工場配属になった人の訓練に使われていたのかもしれない。照明の類は、明滅する裸電球がいくつかぶら下がっている程度で、さらにそのうちのいくつかは今にも消えそうだ。この施設がしっかり動いていた頃にはどんな働きをしていたのか、それすら想像しづらい。 少しずつ意識がはっきりしてくる。そう考えると、鎖(おそらくは先端に錘がついていたんだろう)の直撃二発を後頭部と側頭部に受けておいて、よく骨に大きなダメージがないなと思い始めた。人体の神秘か、それともこれはネイムドになった補正なのかは分からないけど。 日阪はどうなっただろう。私がふがいないせいで彼が過酷な目に遭うのは――普段の私に対する失礼な言動を鑑みて、それを差し引いてもさすがにちょっとは申し訳ない。 「お目覚めかよ、執行者」 黒い長袖コートの男が、一段高いところから私を見下ろしている。 「……有本くん」 なるほど。ピンポイントにやられたと思ったら、やはりあの時慌てて駆け去った有本秋晴が不明のネイムドだったのね。 「秋晴には感謝してるよ。アイツの提案がなきゃ、オマエに正面切って喧嘩売るつもりだったからな。さすがに、ありゃ無理だった。今までのオレなら」 強烈なノイズを思い出す。 「……いい作戦だったわ。あのノイズには日阪くん共々やられた」 「光栄だね執行者。しっかし、オマエはずいぶん人間くさいんだな?」 人間くさい、とはどういうことだろう。 「執行者と言うんだから、オレはもっと無機質なのを想像してたんだけどな。社会なんて知らん顔、ただオレたちを狩り尽くすって思ってたんだけどな」 ずいぶん失礼な言い方だ。私は執行者なんて気取ってない。あれは日阪が呼んでいるだけで、私は執行者であろうとも、そもそもネイムドであろうとも思わない。 平穏に暮らしたいのに。 「オマエは何で『名称』を手に入れたんだ? あるいはどうやって『世界』を抜け出したんだ?」 ――どうやって? 「何のことなの? 『名称』は『世界』が勝手に……『世界』を抜け出すなんて、ありえない……!」 そうだ。 私たちは『世界』に勝手に役割を振られた身。 『世界』から役割を貰いに『名称』が飛び出してくるなんて、あるわけがない! 「……そうかよ。じゃ、もういい」 有本の皮を被った何かが、右手を握り締めた。 ウ――――と、モーター音がする。 「……案外と、できるもんなんだな」 感慨深くそいつは呟くと、もう一度右手を握る。 私の首元でモーター音がした。 「ガロットって知ってるか?」 まあ秋晴の受け売りなんだけどな、とそいつは付け加える。 「昔にヨーロッパって場所で使われてた道具だって話だ。ネジを回すことで首を締め上げて、首の骨を砕いてしまう道具だそうだが……まあ、ありあわせの物で作ってみたわけだ」 首に重みがある。 圧迫感を感じた。 「この建物にあった小型モーターとかを繋ぎ合わせて、とりあえず導線だけ繋いでみたが……うまく出来てるみたいだな。モーターが全然回らないけどな」 それでも、少しずつ首元の圧迫感が増している。モーターは確実に回っている。 このネイムドは人間を操る能力を持っていた。それを、無機物に適用しようとして、この道具を作ったということなのか。 苦しい。 息が詰まる。 こいつの後ろに、一咲がゆらりと付き従う。自意識に欠ける瞳に、表情の抜け落ちた顔、思考放棄しているとしか思えない脱力加減。間違いなく、このネイムドに操られている。 「教えておくよ、執行者。オレは《笛吹き》。『世界』の中にいたがるオマエと違う、存在証明してくれるヤツのないスタンドアローンな存在だ」 モーターの勢いが増す。 《笛吹き》が超低温の笑みを浮かべた。 苦しい。 痛い。 頸骨が砕けるよりも痛みで先に死ねそうだ。 それでも、考えることをやめない。 《笛吹き》。その『名称』は由来が私たちと違うようだけど、もしその名前も異能力と関連しているとすれば、最有力なエピソードはハーメルンの笛吹き男だろうか。笛の音でネズミを操り溺死させ、報酬を出し渋った村から子供たちをこれまた笛の音で操って連れ去ったと言われる童話は、歴史に実在した子供の失踪事件と重なるらしいが――確かに、笛の音があのノイズだとすれば矛盾はない。 頭上でがたがたと音がする。 視界が霞み始めた。そろそろまずい。 痛みでバラバラになりかけた意識を集約する。《笛吹き》は、今では私が苦しんでいることよりも、別のことで笑っているようだった。これなら邪魔はされない。 目を閉じる。右手を喉元に持っていこうとして引っかかった。気付かなかったが鎖で両手首を縛られているらしい。 それなら。 (私の中に――) 全てを砕いて捨てる。 何もかもを打ち壊す。 《トラッシュメイカー》。 何もかもが砕け散る。 全てが砕けて消える。 (この世の全てをブチまけてやる!) 『名称』の制限を解除する。 《笛吹き》――お前が殺しに来るなら。 私だって、易々と殺されるなんてごめんだ。 遥か頭上で、ぱきんと金属の折れる音がした。 もう、関係ない。 両手の指で、私を縛る鎖に触れる。 もう、構ってなどいられるか。 斬、と音を立てて手首を縛っていた鎖が砕け散る。即座に首元のガロットもどきに触れ、ネジによる接続を砕いてむしりとった。 頭上から落ちる何かに、確認せずに右手をかざす。触れた一瞬だけ重い衝撃を感じたが、それもたかが一瞬。右手に触れた位置から、全てまとめて分解する。 「何……だって?」 自分の言葉なのに、他人が喋っているかのように聞こえた。 「『世界』の中にいたがる? 違うわ。そんな事はどうだっていい。きっとあなたと同じよ、《笛吹き》。どんな言葉で着飾ったって同じ。 私は、とにかく今を生きている実感が欲しいのよ」 それは、ネイムド――いや、『世界』から放り出された後に自分で自身の『名称』を見出した彼に、敬意を評して――ネイムレスである彼の願望だろう。 私だって、そうだ。 そのためには邪魔で邪魔で仕方がないこの力。 《トラッシュメイカー》。 私の『名称』。 まるでゴミでもぶちまけるかのように、私が指から掌で触れた物体を原子レベルまで分解する、まさに破壊のためだけにある力。 だから使いたくないし、観客相手には使えなかったのだ。 確実に人を殺す。 だけど今は、この局面を切り抜けるために。 「だから――私の居場所を、一咲は返してもらう――!」 突進する。 「クソッ! ―――」 今なら、『名称』の制限を解除した今ならあの音もノイズとは感じない。斜め前から、いつの間にか現れた元観客たちが私に迫る。 急ブレーキの後、背面宙返りで距離を取り、手を床についた。 肉の壁が迫る。 「そんなんじゃ遅い!」 《トラッシュメイカー》、起動。 手で触れた部分を起点に、コンクリートの床から長方形を切り取る。巨大な落とし穴に、芸もなく人間が自ら飛び込む。見え見えの罠にかかるあたり、《笛吹き》も高度に操作するのは無理なようだ。 加速をつけ、切り抜いた大穴の前から走り幅跳び。『名称』を持つということは、それだけ『世界』に私たちのことが記録されているということだ。『世界』に記述されているなら――これが何かのマンガや小説なら、主人公補正だの何だのと言うらしいけど――それだけ私たちは強く描写され存在する! 蹴り抜いた踏み切りの一撃が、わずかにコンクリを歪ませた。十メートル弱の幅を一気に飛び越える。 「―――!」 全方位から、私目掛けて天井からの音が降り注ぐ。屋根を含めた鉄骨を私にぶつけるつもりか。速度は申し分ないけれど――それでも遅い! 正面からの一本目を左手で払う。――分解。真横からの二本目と三本目は走り抜けて避ける。同士討ちし墜落。真後ろからの四本目はバク宙でやりすごし、着地と同時に床に突き刺さったそいつを分解する。大量に雨のように降り注ぐ錆びた鉄の槍も、視認できる以上問題はない。残虐な針が真上から落ちる。右手で止める。 何本も何本も何本も。 くどい。 真正面から、顔面目掛けて一本。突進の勢いがある以上、減速できない。辛うじて両手で受け止め、その場で塵にする。 肉薄。 (食らえ――!) 地面を蹴り、《笛吹き》目掛けて低く跳躍する。 横合いから、右肘を絡め取られた。体勢が崩れ、引きずり倒される。一咲が鎖を私に向かって投げたのだ。その瞬間を見逃さず、鉄骨が滝のように降り注ぐ。 両掌で、床を穿つ。 落ちた私に引きずられて一咲が鎖を手放す。防空壕のように穴を掘り、滝を辛うじてやり過ごした。脱出時に、さらにコンクリートを彫って丁寧にスロープを作って抜けてやる。 リテイク。 地面を蹴り、あと五歩のところで一咲が割って入る。 手では触れられない。 「ごめん、一咲」 左足を踏み込み、一咲の横腹に全力で右の廻し蹴り。 一咲が体をくの字に折って吹き飛ぶ。 そのフォローもそのままに、さらに突進。 直後、腹部に衝撃。《笛吹き》の右手袖から、鎖が飛び出していた。 激痛。手の甲でチェーンを払い除けると、腹からナイフが落ちた。熱い。痛みが全身を駆け抜け脳を直接陵辱しているかのよう。気が遠くなりそうな感覚を抑えてさらに接近する。さらに《笛吹き》の左手袖から銀光が走る。錘つきの鎖。真正面から右手で握り締め、跡形もなく原子分解する。 奴が一歩後ずさる。 逃がすものか。 低空跳躍。 正面からの飛び蹴りが、《笛吹き》の胸部を捉える。強烈な一撃が彼を吹き飛ばした。 追撃の跳躍。 その直後に。 背後に激痛。 侵入する刃。 銀のナイフ。 撫で斬る傷。 痛みで体勢を崩して着地してしまう。 それでも止まるわけにはいかない。 壁際まで奴を追い詰めた。 踏みとどまったそいつに、再び矢のような飛び蹴り。 クラッシュ。 壁に叩きつけた直後に、《トラッシュメイカー》を一時的にオフ。さらに加速し、壁と私の膝で《笛吹き》の――ひいては有本の体をサンドイッチに。膝を戻すと同時、奴の体がずり落ちる前に能力を切った私の右手で首を掴み、壁に押し付けた。 「……ッは……」 背中の痛みがひどい。ナイフが腹から落ちた後に、おそらく操作されたナイフが私を斬りつけたのだろう。痛みで気が遠くなる。一度だけ深呼吸して、私は《笛吹き》の目を正面から見た。 「オ、レ……は……」 「……愛されたかったんでしょう、《笛吹き》」 『世界』に接続していた私は、ようやく彼の願っていたことが少し分かった。 『世界』から自力で抜け出すことは少し考えづらい。おそらく、何らかの原因で弾き出されたのだ。弾き出された後、何の因果か有本に《笛吹き》が取り憑いたけれど、名は体を表すのだから、もしかしたら有本の願いと彼の願いが一致していたのかもしれない。それか、性質が似ていたのだろう。どちらがどちらを引き寄せたのかは、たぶん鶏と卵の問題だ。 「……死なせたく……な……」 壁に彼を磔にするために、さらに右腕に力を籠める。握力が落ちてきているのか、同じ高さを維持できない。 「早まる必要はなかったのよ、《笛吹き》」 そうだ。 私に、関わらずにさえいれば――。 ‡ 「……これじゃ、私が悪役じゃない」 私は《笛吹き》の喉を押さえていた右手を離した。《笛吹き》の体が壁に沿ってずり落ちる。表情から何か悪いものが抜けた顔をしている。 息を整えた後、彼は私を見上げた。 「……いいのか、久住さん。曲がりなりにもあんたを殺そうとした相手だろう?」 憑き物が落ちた表情と言葉。人格が有本になっているのか、それとも混ざり合っているのか、演技なのかは分からない。 「俺なら容赦できない。何でそこで止まれるんだ?」 純粋な疑問のようだった。 「そこまでする必要があるの?」 私は言い切った。 「あなたと《笛吹き》が同一人格だったとして、あなたは死にたい? 別人格だったとして、気の合いそうな相手を消されて正気でいられる? 別人格で、しかも意思疎通が出来て、それもあなたが最後まで付き合っているくらいなんだから、《笛吹き》を嫌いじゃないんでしょう? だったら、いいじゃない」 深呼吸をひとつ。 「私は確かに『世界』から名前を受け取ったネイムドよ。だけど、それはあくまで分類上の話でしかないでしょう? 考えてるの。 『世界』にすら見捨てられてるなら、私達の世界で救いがあってもいいじゃない、って」 「……何て言えばいいのか、わからないな」 有本は視線を落として、立ち上がった。 「でも、ありがとう」 「別に構わないわ。偽善だと受け取るもよし。だって何より、私が殺したくも消したくもないんだから、あなたがお礼を言う必要もない」 有本は視線を上げる。 「それでもな。ま、話せる相手がいるってのはいいことさ。おかげでこの数日間は楽しかったといえば楽しかった。《笛吹き》とは……折り合いをつけるよ」 有本がかすかに笑った。 「そう。じゃあ、《笛吹き》に伝えておいて」 だけど、この一線だけは譲れない。 「すぐに、あなたの能力で操っていた人間を全て解放しなさい。それと――」 言葉を、一度切る。有本が神妙な表情になった。 「次に、こんなことをしたら、今度こそ有本くんごとあなたを消す、と」 ため息をつく。横目で周囲を確認すると、一咲はまだ気を失っているようだった。手ひどく蹴ってしまったのがちょっとだけ申し訳ない。 一咲に近寄って、抱きかかえる。いわゆるお姫様抱っこという姿勢だけれど、背負うと彼女の服に血が付きかねない。それだけは避けたかった。 「……ああ、分かった。伝えておくよ」 有本が言う。 「それじゃあ、また学校で。明後日会いましょう」 後ろを向く。 ああ、と前向きに返した有本を残して、私は荒れたこの場所を出た。 赤い夕日が、何もかも終わったことを実感させた。 |